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バレンシアガ

BALENCIAGA(バレンシアガ)の歴史について

現在ではハイブランドイメージを少し「ストリート」や「カジュアル」の方に変化させ、多くの若者たちからも支持されるようになりました。そんなBALENCIAGA(バレンシアガ)の歴史についてここで紹介させていただきます。

ブランド創業者であるCristóbal Balenciaga (クリストバル・バレンシアガ)は1895年、スペインのバスク地方の漁村に生まれます。洋裁師である母親からドレスメイクや仕立て学び、独学で裁縫と裁断などの服作りの技術を習得しました。

その後スーツのリメイクをした洋服でその非凡な才能が認められてマドリードの仕立て屋で下積みを経験したのち、1918年に自身の名を冠したブランドBALENCIAGA(バレンシアガ)をスペインのサン・セバスティアンにオートクチュールハウスをオープンさせます。開業するとその高い技術と優れたデザイン性は評判を呼び上流階級の富豪増たちの間で瞬く間に話題となります。この最初の店舗からすでにスペイン王家の御用達となるほどバレンシアガの名声はスペイン国内に知れ渡っていました。1代でこれだけの名声と手に入れる事は本当に凄い事だと思います。

順調に事業は拡大しスペイン国内で高い評価を受けて、2番目のオートクチュールハウスを首都であるマドリッド、そして3番目を第二の都市であるバルセロナにオープンさせるなど積極的に店舗展開を行いました。順調に成長を続けてきましたがスペインの内戦を機にフランスのパリへ渡る事を決意します。1937年にフランスのパリのアベニュー・ジョルジュサンク10番地に拠点を移し、そちには現在も同じ場所に旗艦店があります。

バレンシアガのデザイン性は世間から高く評価されて、パリのエレガンスを代表するまでに成長します。1930年代には、CHRISTIAN DIOR(クリスチャン-ディオール)の「ニュールック」の前身ともいえるスタイル、ウエストシェイプされたワイドスカートのスーツを発表し、また1940年代~1950年代には、四角い肩に狭めたウエストラインの洋服や、ウエストラインがない「バレル・ルック」など、シンプルで無駄をそぎ落としたラインの「サック・ドレス」などを発表しファッショ業界を牽引しました。

1955年に発表したクリスチャン ディオールの「Aライン」とともに大きな話題となった「チュニックライン」と言われるスタイルは革新的で、その後ファッション業界に大きな影響を与えるほど斬新でした。

また1946年にブランドとして初めて「香水」を発表し、その名前はLe Dix(ル・ディス)と名付けられています。1968年にはフランス革命が勃発してしまい、贅沢で優雅なファッションを楽しむ時代ではなくなったと感じたクリストフは、残念ながら「プレタポルテを始めるには年をとりすぎた」という言葉を残して、オートクチュールから引退します。そして、1972年にクリストフ氏が亡くなると、BALENCIAGA(バレンシアガ)は倒産の危機にまで経営状況が悪化します。その後BALENCIAGA(バレンシアガ)はクリストフの甥のジャック・ボガート氏が後任を務めましたが、この時代は香水ブランドとして細々と小さく事業を続けているのが精いっぱいという状況でした。

1986年までは、香水ブランドとして継続され、1987年、「バレンシアガ」のプレタポルテコレクションがスタートします。そして1995年、ニコラ・ジェスキエール氏がライセンスデザイナーに就任する事となります。その後、1997年にはプレタポルテ及びアクセサリー・コレクションのクリエイティブディレクターに就任し、デビューコレクションは、衝撃的なインパクトを与え新生バレンシアガをアピールする事に成功しました。ジェスキエール氏は長年培ってきたバレンシアガの伝統的なスタイルを継承し、ウェアだけではなく、バッグ、シューズでも高い評価を得て復活に足がかりとなります。

2005年にはダウンの中でおそろく世界で一番有名であろうMONCLER(モンクレール)とのコラボレーション企画で非対称(アシンメトリー)なジッパーやミリタリー系の紋章がデザインされたダウンジャケットなどを披露します。2009年にはジェスキエール氏による初のフレグランス「バレンシアガ パリ」を発表します。2011年に2作目となる「バレンシアガ パリ レッソンス」を、さらに勢いは止まらず2013年に3作目となる「フローラボタニカ」を展開しました。

2012年に長年勤めていたニコラ・ジェスキエール氏がクリエイティブディレクター職を辞任します。後任にはALEXANDER WANG(アレキサンダーワン)が2015年までクリエイティブディレクターを務めています。2015年以降はアレキサンダー ワンの後任として、ヴェトモンのデムナが新アーティスティックディレクターに任命されました。このデムナ・ヴァザリア氏は有名なデザイン学校を卒業してMaison Martin Margiela(マルタン-マルジェラ)に所属し、その後はあのLOUIS VUITTON(ルイ-ヴィトン)で修業を積みながら自身のブランドも並行してディレクターに就任するなどのスーパーマンです。

2017年には日本のドーバー銀座に新スペースをオープンさせ、バレンシアガが家具で有名なIKEAのフラクタバッグにオマージュをささげる高級バッグを発売します。2017年、サンダルで有名なcrocs(クロックス)とコラボレーションをして「クロッグ(clog)」をベースにしたプラットフォームサンダル「The “Foam”」を発表し様々なブランドと積極的にコラボレーション企画を行っています。翌年には2018年春夏コレクションにて、ブランド初のキッズコレクションがデビューして新たな市場開拓を試みます。

2020年には創業者であるクリストバル・バレンシアガがメゾンを閉じてからなんと半世紀を超える52年の月日を経て、オートクチュールを再開します。オートクチュールの専門チームを作り、歴史的なアドレスであるアベニュー・ジョルジュサンク10番地にて当時のサロンを再現したアトリエを設立します。これは長年、BALENCIAGA(バレンシアガ)を愛してきた方は嬉しかったのではないかと思います。

2021年11月にはGUCCI(グッチ)のコードを再解釈した「The Hacker Project(ザ ハッカー プロジェクト)」よりコラボレーションアイテムが発売されます。そしてグッチ側からも、バレンシアガを再解釈したコラボレーションアイテムが展開され、お互いがリスペクトしているのがわかります。翌年の2022年には有名スポーツブランドのadidas(アディダス)とのコラボレーションコレクション「バレンシアガ ×アディダス」を発売し話題になったのは記憶に新しいかと思います。

現在バレンシアガは誰しもが一度は聞いたことのある有名ブランドのSAINT LAURENT(サンローラン)BOTTEGA VENETA(ボッテガ-ヴェネタ)、GUCCI(グッチ)、などのハイブランドを擁する大手ケリング・グループの傘下に入っており、ウェアやバッグ、シューズなど、アパレル関連を中心に幅広いアイテムを展開しています。

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魅力について

バレンシアガの創業者であるクリストバル・バレンシアガ氏は、ブランドの仕事として本来は職人によって分業されるオートクチュールドレスをなんと自分一人で完成させることができる凄腕の持ち主で、その腕前は「クチュール界の建築家」と呼ばれるほど圧倒的な技術力を持っていた事がわかりまうs。

クリストバル・バレンシアガ氏の死去後もブランドの意志は継承され、現在ではラグジュアリーブランドが多く採用している「ストリート」の要素を多く取り入れています。今後もこのラグジュアリーストリート分野の流行は続いていくと思われ、一目見たら忘れられないロゴは若者にも人気があり、今後も大注目のブランドの1つです。

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