ANNA SUI (アナスイ)の買取ならフクフクへおまかせ下さい。

ANNA SUI

アナスイ

ブランドについて

現在では世界的に有名となったAnnaSuiは、50店舗以上のブティックを8カ国で展開していて、30カ国を超える国の300店舗でアナ・スイのコレクションは販売されています。そしてブランドのイメージカラーは紫のイメージを持っている方は多くいらっしゃると思います。

ヴィンテージスタイルや文化の深遠な領域に関する膨大な量のリサーチを通してインスパイアされた現代的で独自の洋服を生み出すことで知られ、ニューヨークで最も愛され成功したファッションデザイナーの一人です。

1970年代からニューヨークの強烈なカルチャーアンダーグラウンドシーンに進出し、ファッション、写真、アート、音楽、デザデザインの世界で重要な関係を築きました。今なお世界中の人々に素晴らしい刺激と改革、文化を提供し続けているとても重要なブランドです。

女性、男性の比率でいうとやはり女性のほうが多い印象を受けます。そして香水、洋服やバッグ、などアパレル関連にとどまらず、今では食器や犬などのお洋服や小物雑貨類も幅広く手掛けていくなど、我々の日常を総合的にプロデュースしてくれるまでにラインナップは充実していっています。アナスイのブティックをとても刺激的で一度来店するとなかなか忘れられないインパクトを受けるのではないのでしょうか?少し日常が退屈だと思うあなた。このブランドで刺激を受けませんか?

ANNA SUI

幼少期について

ブランド創業者であるデザイナーANNA SUI (アナスイ)は中国系アメリカ人の家に生まれ、出身地は自動車の街として有名なデトロイト出身です。幼少期からファッションに強く興味を抱くようになり、4歳の時には「ファッションデザイナーになりたい」と強く思っていたそうです。それにはきっかけがあって、叔母と叔父の結婚式のフラワーガールする為にニューヨークへ行くようになりました。その時に受けた大都会の衝撃が忘れられずに、デトロイトの自宅に帰った後、両親に「私は大きくなったらニューヨークに引っ越して、デザイナーになりたいわ」と言ったそうです。4歳の頃に思った夢が叶うなんてとても素敵な物語だと思います。

母親に『VOGUE』などのファッション雑誌を買ってもらえるようにお願いし、当時の映画やスターたちのファッションを夢中で研究していたそうです。一番最初に作った服は学校の家庭科の授業で制作したブラウスで、ターコイズペイズリーの美しいブラウスが出来たそうです。この頃から将来デザイナーになる事は「必然」だったかもしれませんね。

美術大学への進学、そしてブランド設立へ

その後17歳になった彼女は憧れだったニューヨークへ引っ越し、ニューヨークのパーソンズ美術大学へ進学をしました。そして卒業後の1980年に自身の名を冠したANNA SUI (アナスイ)を設立しました。その設立に際して面白エピソードがあります。

それは当時会社員をしていた彼女ですが、友人が当時流行していたパンクロックテイストを取り入れたジュエリーを国内ブティックやイギリスなどを海外に展開していました。そこで彼女は彼らとブースを共有して5つのピースで構成した小さなコレクションを発表しました。それが大きな反響を呼ぶとは彼女自身も想像していなく、デパートのショーウインドウに飾られる事になりました。さらに予想外な事が起こりそのコレクションはなんとあの有名な「ニューヨークタイムズ」の広告にも掲載されることにもなりました。

当時、彼女が勤めていた会社の規約違反となり「なぜ君の広告が、ニューヨークタイムズに載っているんだい?」と告げられたそうで、そして「you are fired」とでも言いましょうか、つまり首になったそうです。なんだか映画のワンシーンみたいです。

突如首になったので当然「ビジネスプラン」などは持ち合わせてはいなかったそうで、急遽始めたブランドなので資金面などにはとても苦労したそうです。どうしてもお金が必要な場面が増えていき、彼女はフリーランスの仕事も沢山受け持つようになりました。ブランドを持ちながらフリーランスという「二足の草鞋を履く」事をしていたのは大変だったと思います。今ではとても華やかな印象がありますが、下積み時代は多くの人が経験するもので、彼女も一生懸命に働いていました。

フリーランス経験で得たもの

フリーランスを始めた頃はインドで仕事をしていて、またイタリア版『VOGUE』の編集長フランカ・ソッツァーニからのオファーがあり、7,8年ほどイタリアでもフリーランスとして活動を行いました。このイタリアでの仕事が今後大きな役に立つ事となります。

ブランド設立当初は生地会社も請負会社も全てがニューヨークのエリアに密集していました。そうなると当たり前の事ですが全てがアメリカ製になります。便利な反面、将来的にはそのような中央に偏ったシステムは時代と共に変化をしていき、数多の会社がそこから撤退をしていたので、ANNA SUI (アナスイ)はアメリカ製以外の生地を探さなければならない状況に追い込まれていったのです。

イタリアでのフリーランスの仕事は資材の調達に関する知識をはじめ、ファッションにおける多くのリソースを学べる絶好の機会だと考えました。アメリカを飛び出して世界に目を向ける様になった彼女はその後、「世界のファッションブランドの発展にも備えることができた」と語っています。

ANNA SUI (アナスイ)をお売りになるなら

福岡市内を中心に出張買取、日本全国(一部地域を除く)で宅配買取を行っております。もう使用していないANNA SUI (アナスイ)のお品物などがございましたらフクフクへお売りください。ひとつひとつ丁寧に査定いたします。

guidance

買取案内

出張買取

福岡市内を中心に

出張買取に伺います。それ以外の福岡市近郊にお住いの地域の方は一度お気軽にお問合せ下さいませ。


宅配買取

日本全国対応

(沖縄や離島など一部の地域の方は一度ご相談下さいませ)また宅配買取の送料は無料です。

others

お役立ちコラムを掲載しています

ブログ
子育てママさんへ
福岡市はこんな所
メンテナンス
靴って高く売れる?
遺品整理
買取ブランド一覧
よくある質問

ひとつずつ丁寧な査定

fukufuku