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LOUIS VUITTON

ルイヴィトン

LOUIS VUITTON(ルイヴィトン)の歴史について

もう説明不要の世界的有名ブランドであるLOUIS VUITTON(ルイヴィトン)の歴史はとても古いものです。その伝統と技術は2000年に入っても決して色褪せる事なく、日々進化しています。ここでその古い歴史を振り返っていきましょう。少し長くなってしまいますが、最後までお付き合い下さい。

1821年にフランス東部のフランシュ・コンテ地方のジュラ山脈のアンシェイ村で製材所を経営していた家庭の三男としてLOUIS VUITTON(ルイヴィトン)は誕生しました。その後LOUIS VUITTON(ルイヴィトン)が10歳の時に、母親が5番目の子を産んで死んでしまった不幸な出来事がありました。さらに翌年に父親が再婚するなど複雑な家庭環境下で育ちます。義母がルイや兄弟に仕事を押しつけたり、辛く当たったりするなどとても辛い幼少期を送ります。

その後、LOUIS VUITTON(ルイヴィトン)は1835年にパリに行くために家出をしてしまいます。この時14歳という若さでした。家を出ていきたくなるほど辛い環境だった事が想像できます。そして様々は仕事をしながら旅を続け、彼は「木を扱う仕事」に精通していた為、雑木林を間伐する求人があれば、少々パリまで遠回りでも喜んで出かけていったそうです。そうして多くの木に関する知識を得て1年以上かけてようやくパリに到着する事ができました。

やっとの思いでパリに到着した彼はカプシーヌ大通りのフォーブール サン トレノで「レイティエ・アンバルール」(荷造り用木箱製造職人兼荷造り職人)のマレシャル氏のもとで見習いとなり働き始めます。ルイはすぐに仕事を覚えメキメキと腕を上げていき、また当時のフランスでは、貴族の間で「クリノン」と呼ばれるスカートが流行になっていました。その貴族達が旅行する際にはこれらの衣装を収納する専門家が必要となっていました。そして30歳の頃には彼はフランスでは有名な「荷造り木箱製造職人兼荷造り職人」となるほどまでに成長していました。

その技術は本物で、1853年にナポレオン3世とウジェニー・ド・モンティジョが結婚すると、舞踏会やレセプションや旅行等が頻繁に行われるようになったため、荷造り用木箱製造兼荷造り業者の依頼が急増します。皇后は豪華な衣裳の梱包を自ら指示を行っていましたがルイだけにこの仕事を任せるようになるほど、彼は信頼されていました。

翌年の1854年にルイは、エミリー・クレマンス・パリオーと結婚し、とうとう独立を果たします。こうして世界最初の旅行鞄のアトリエ 、LOUIS VUITTON(ルイヴィトン)を設立します。オープン当初に自作のトランクを作り、これは「防水性」のあるグレー地の「グリ・トリアノン・キャンバス」を発表し、その生地を使用したトランクを誕生させました。

創業後のビジネスを考えていた彼は交通機関の発達に注目しました。この当時は馬車旅行が主流でしたが、今後は機関車や船などでの移動が増えると考えそれまでの馬車の後ろに積んだ際に雨が垂れるよう丸みを帯びた「蓋の丸いトランク」から、室内で積み上げることができる「平らなトランク」を考え出したのです。現代では当たり前の様に思いますが意外と盲点だったかもしれませんね。

革より軽い防水加工を施したグレーの無地コットン素材「グリ・トリアノン・キャンバス」を使用して作ったトランクは軽くて丈夫だと評判となり、さらにトレーや仕切りまで設置するなど機能性を追求したものでした。こうしてセレブ達の間で瞬く間に評判となり、さらにナポレオン3世の皇妃ユージェニーが旅行用衣装ケースとして発注した事により名声を得る事に成功しました。

どんどん需要が増え続け事業規模は拡大し、その評判はフランス国内だけでなく外国まで知れ渡り注文が殺到する事となります。いよいよパリの工房だけでは対応しきれなくなり、1859年に近郊の町アニエール シュル セーヌに新工場を設立します。その後1867年のパリ万国博覧会に「ワードローブ・トランク」を出展した際には銅メダルを獲得し、世界的に知名度は高くなりました。

その後、順調に事業を拡大し1877年にはロシアのニコライ皇太子(後のニコライ2世)、スペイン国王アルフォンソ12世からもトランクのオーダーを受注するなどブランドとしてますます信頼が増していきます。そして1885年についにLOUIS VUITTON(ルイヴィトン)として海外初のストアをオープンさせました。これはイギリスのロンドン、オックスフォード通りに店を構えています。

どんどん有名になってくると、やはり粗悪なコピー品が出回り始めこの頃から偽物との戦いがスタートします。そうした中、ベージュと茶褐色のチェス盤に「登録商標ルイ・ヴィトン」の文字が入った日本でいう「市松模様」の柄「トアル・ダミエ」を製作し、それから数年間はこの生地がトランクの生地として使用されました。これが「ダミエライン」のスタートです。 この「ダミエライン」が施されたワードローブは1889年のパリ万国博覧会では見事金賞を獲得しました。しかし残念ながら商標登録されていたにもかかわらず再度偽物のコピーが出回る事になります。それだけ当時から人気があった事がわかりますね。

1892年に残念ながらLOUIS VUITTON(ルイヴィトン)71歳でその生涯の幕を閉じました。また同年にはハンドバッグの販売もさせ、すべての製品が掲載されたカタログを出版し、さらには顧客の要望に出来る限り応え従ってどんな備品も取り付け、どのようなトランクにも応じようとするLOUIS VUITTON(ルイヴィトン)の精神は脈々と受け継がれています。

1896年にコピー商品対策として、世界で最初にモノグラム柄をアイテムに取り入れます。このアイデアは息子である2代目のジョルジョ・ヴィトンが考案したもので、モノグラムは、「L」を「V」と花と星を組み合わせたもので、当時流行していたジャポニズムの影響下にあったヨーロッパで、ジョルジュが日本の家紋などからインスピレーションを受けて誕生したものだと言われています。これが私たちの知っているブランドの「トレードマーク」になります。これはプリントでなく熟練の職人による手書きの為、偽物のコピー商品は激減していきました。正に職人たちの執念が実を結んだといえますね。

{次回に続きます}2024年2月13日現在

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