BALLY
バリー
BALLY(バリー)の歴史について
創業者であるCarl Franz Bally(カール・フランツ・バリー)氏は、弟とともにスイスで1851年に「Bally&Co」を創業しました。元々は親族経営のリボン製造会社でゴム製リボンとサスペンダーの製造業を継承する形でリボンメーカーから開始をしました。フランスのパリに出張した際に見た、「パリジェンヌたちのお洒落な靴にすっかり魅了されて靴の開発をさせたと言われています。
そして事業規模を拡大し、工場設立やスチーム機の導入をして生産ラインの基礎をしっかりと確立しました。また1870年代には、アメリカやイギリスの当時の最新技術を採用して効率化に成功して生産能力が飛躍的に上がります。機能的でモダンなデザイン性の高さと、素材の品質の良さは評判となり、スイス国内だけでなくフランス、ドイツ、イギリス、などヨーロッパ各地に進出を果たします。この当時は200万足を年間で生産をしていました。
1907年株式公開し、その後、2度の世界大戦と世界恐慌のあおりを受けて事業は大きな打撃を受けるますが、機能的な靴は多様な場所使用されて、1950年代には、エレガントなメンズのドレスシューズ、「スクリープ」が大ヒットしたおかげで、事業は回復しました。
靴だけでなく洋服やハンドバックおよびレザー製品のアクセサリーをブランドのラインナップに1976年に追加し、よく1977年には創業家一族から会社が離れる事になります。また1980年代はヨーロッパのファッションブランドとしてはかなり早い段階での中国進出を果たしています。
また日本でバリージャパンが1988年に設立されましたが、この1980年代の時期はCHRISTIAN DIOR(クリスチャン-ディオール)など多数のブランドはライセンスを量産した事でブランド価値が低迷する事になります。
1999年には投資会社テキサス・パシフィックグループが資本参加の発表があり、2001年新CEOマルコ・フランキーニが就任します。そしてインターナショナルデザインチームを発足させ、「最上の最高の日常着」をコンセプトに、全世界のブランドイメージの統一をはかります。その後はバッグ、プレタポルテも含めたトータル・ファッション・ブランドへと進んでゆき、従来とは異なるブランドイメージの展開を試みます。
2001年にクリエイティブ・ディレクターにSALVATORE FERRAGAMO(サルヴァトーレ-フェラガモ)で経験を積んだスコット・フェローズ氏が就任しミラノコレクションデビューを果たしますが、翌2002年に辞任してしまいます。その後、メンズ全般とレディースのプレタポルテはJohn Galliano(ジョンガリアーノ)のもとで働いていたLuca Ragonese氏が就任して、レディスアクセサリーの担当ははメリッサ・メイッシュが就任しました。2006年にLuca Ragonese氏は残念ながら37歳という若さで死去してしまいます。
2008年秋冬コレクションからBRIAN ATWOODがクリエイティブディレクターに就任します。後にBRIAN ATWOOD:VERSACE(ヴェルサーチ)で靴を中心としたアクセサリーラインをプロデュースした後に独立して自身のブランドを立ち上げています。気になる方はそちらもチェックしてみて下さい。
その後イギリスの有名ブランドのAquascutum(アクアスキュータム)のヘッドデザイナーを務めたマイケル・ヘルツとグラエム・フィドラー氏がクリエイティブ・ディレクターに2010年に新しく就任し、モダンな要素をふんだんに取り入れたデザインを発表します。
2014-15年秋冬コレクションよりデザインディレクターに、CELINE(セリーヌ)やTOM FORD(トムフォード)の有名ブランドでのキャリア経験のあるパブロ・コッポラ氏を起用し、世間から認知されている従来のブランドイメージを一新しようとしました。パブロ・コッポラ氏はアイウェアなどを含むメンズ・ウィメンズ、全てのコレクションのデザインを担当しています。その後日本では2016年、世界最大の旗艦店が「東急プラザ銀座」にオープンさせ話題となりました。2018年には中国の山東如意(伊藤忠商事の関連会社)がバリーの株式を取得しグループに入ることになります。

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