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エルメス

HERMES(エルメス)の歴史について

現在では世界中の人々から認知されているHERMES(エルメス)ですが、特に女性たちから絶大な支持を獲得しています。

創業者であるThierry Hermès(ティエリ・エルメス)は1801年にドイツ・クレフェルドで、宿屋を営む父親のティエリーとドイツ人の母親のアグネスの第6子誕生します。Thierry Hermès(ティエリ・エルメス)氏は幼少期の頃から馬具制作を始め、1837年に若干36歳でフランスのフランスのパリのマドレーヌ寺院界隈に立ち上げた馬具工房からスタートしています。創業当初はファッションブランドではなく馬具を製作していたのは少し驚きですね。

高い技術力があり製作される馬具はとても評判で使用感が良いのはもちろんの事、人間だけでなく馬も傷つけない配慮が施されていました。このこだわりが高い評価を受けて、顧客にはなんとナポレオン3世やロシア皇帝など数多くの上流階級の人々がいました。そして1867年の「第2回パリ万博の馬具部門」で銀賞を獲得しています。また余談ですがこの時の銅賞はLOUIS VUITTON(ルイヴィトン)だったそうで、それより上の順位という事でかなりの技術力があったのが分かります。そして1878年の「第3回パリ万博」ではとうとう金賞を獲得し知名度がますます高まっていきます。

その後1880年には2代目代表であるエミール・シャルル・エルメスがブティックを現在の「フォーブル・サントノーレ」に移転させ、従来の製造・卸の事業方法だけでなく顧客への直接販売もスタートさせています。これによりブランドの人気と知名度は一気に上昇してHERMES(エルメス)を持つこと自体がステータスになるほどまで有名ブランドに成長しました。

1892年には馬の鞍を入れるためのカバンであるhaut-à-croire(オータクロア)を発売します。このオータクロアが原型となったのが後に世界的有名になる「バーキン」で、女優のジェーン・バーキンににちなんで名づけられています。そして1900年代に入ると後に3代目となるEmile・Maurice・Hermès(エミール・モーリス・エルメス)が、ロシアのサンクト・ペテルブルグへむかいロシア皇帝ニコライ2世へ馬具と鞄の売り込みに成功してこれをきっかけにフランス国内だけでなく世界的な馬車商に発展していく事となります。

20世紀前半にブランドの転換期が訪れます。それはアメリカで車がどんどん普及していき、これからの自動車時代の到来を予見したエルメスは徐々に馬具から婦人バッグや財布、革小物などファッションブランドへと変化していきます。この頃から我々の知っているファッションブランドとしてシフトしていった時代です。

そしてハンドバッグ部門を1920年にスタートさせ、長きにわたり馬具メーカーとして培ってきた鞍縫いの製法を活かして作られた革のバッグ「クージュ・セリエ」が大人気となります。そして初めてファスナーをバッグに用います。これを見たCHANEL(シャネル)がスカートにファスナーを使用した事により服にファスナーが使われるようになります。このような経緯を知るのも楽しいですね。また1923年には高級車ブカッティ用のバッグとして、丸いラインが特徴的な大型のバッグ、「ブカッティ」を発表します。

1935年にsac-à-croir(サック・ア・クロア)という、オータクロアのハンドバッグを発表し、このオータクロアは19世紀末から製造されていた伝統のあるもので、これを台形のハンドバッグに変え、「クージュ・セリエ製法」とい縫い目を表に出すを製法をおこないますた。また1937年にはブランドとして初めてスカーフのコレクションを発表しています。このスカーフのタイトルは「カレ・モムニバスゲームと白い貴婦人」と名付けれました。またトレードマークであるオレンジ色の包装紙が採用されたのもこの頃です。そして1945年より「四輪馬車と従者」の商標の使用が始まりました。

その後残念ながら3代目のEmile・Maurice・Hermès(エミール・モーリス・エルメス)が1951年には死去ししまい、4代目社長にはロベール・デュマ・エルメスが就任します。このロベール・デュマ・エルメスはエミールの次女ジャクリーヌの婿という立場でした。そしてロベールはスカーフに着目してそこに注力して事業の売上を伸ばす事に成功しています。スカーフの「カレ・エルメス」には一枚一枚にストーリーを作るほどスカーフにこだわりを持っていたそうです。またスカーフの製造はさほどコストが掛からなかったと思いますので、利益率の良さが事業拡大に繋がったのではないかと思います。

そして1955年にモナコ王妃グレース・ケリーが「サック・ア・クロア」で妊娠していたお腹を隠していたことから、「サック・ア・クロア」を「ケリーバッグ」と呼ばれるようになりました。

若者をターゲットにした香水部門が1961年に独立して「カレーシュ」を発売します。次に1974年には「カレーシュ」より若い女性向けの香水「アマゾン」発売して香水分野にも積極的に力を入れはじめました。

1976年には高級紳士靴で有名なJohn Lobb(ジョンロブ)のフランス、パリ支店の閉店に伴い、その確かな技術の高さを評価したエルメスが支店を職人共々エルメス本店内に迎え入れます。そしてこれをきっかけに「ジョン・ロブ・パリ」としてイギリス以外の国で紳士靴をワールドワイドに展開をしています。このイギリス以外というのは本国に配慮したのかもしれませんね。

1978年には4代目代表のロベール・デュマ・エルメスの息子であるジャン・ルイ・デュマ5代目に就任する発表がありました。そして翌年の1979年には時計部門をスタートさせて「アルソー」発売します。1988年にはエルメスのメンズ部門のディレクターに、ヴェロニク・ニシャニアンが就任しています。レディースのプレタポルテは、これまでエリック・ベルジェールやクロード・ブルエ(本家フランス版「マリ・クレール」の元編集長)などメインでデザインを担当してきましたが、1998年からなんとあのMaison Martin Margiela(マルタン-マルジェラ)が担当しています。それから2004年春夏シーズンまでデザイナーを続けています。このマルジェラが担当したコレクションは高く評価され人気があります。

70年代に非売品として作った機種のデザインを踏襲した時計「パプリカ」を2002年に発売しました。2004年からJean-Paul GAULTIER(ジャンポールゴルチエ)がレディースプレタポルテのデザインを担当しています。改めてみるとマルジェラやゴルチエなどそうそうたる人物がエルメスに関わっていることが分かります。

2010年、2011年秋冬コレクションよりアーティスティック・ディレクターにLEMAIRE(ルメール)のクリストフ・ルメールが就任することになりその後ルメールは2015年春夏コレクションを最後に退任しています。そして後任にはNadège Vanhée-Cybulski(ナデージュ・ヴァンへ=シビュルスキー)がアーティスティック・ディレクターに就任する発表がありました。

エルメスはファッションブランド以外ともコラボレーション企画を行い2015年にはアップルと共同で「アップルウオッチ・エルメス(Apple Watch Hermès)」を発表して大きなだ反響を呼びました。

日本においては2016年に京都の祇園に期間限定ショップ「エルメス祇園店」をオープンし数多くのアイテムを発表しています。この限定ショップは2017年7月末まで営業しています。2018年、国立新美術館で映画の撮影スタジオに迷い込む”体験型”の展覧会「彼女と。」を開催しています。今後も世界的ラグジュアリーブランドの代表として活躍を続けてくれる事でしょう。

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馬車から自動車の転換期を敏感に察知しエルメスは馬車の衰退を予見して、現在のバッグや財布など皮革製品の製造に事業を方向転換し成功しています。モノづくりの技術力だけでなくこの未来を見抜く力がHERMES(エルメス)の凄いところです。フクフクでは次に必要とされる方へ橋渡しのお手伝いをさせていただきます。福岡市内を中心に出張買取。宅配買取は全国対応しております。まずはお品物をお手元にご用意のうえ、お気軽にお問合せ下さいませ。ひとつひとつ丁寧に査定をさせていただきます。

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